光福寺について
開山は不詳ですが、遅くも江戸時代前期には存在していました。
寛永7年(1630年)源祐上人を中興とします。
江戸時代、房総の人々が江戸に向かう折、光福寺のある桜井の地
に宿泊し、翌日早朝、舟で江戸に向かったと伝わります。
ある江戸の商人が光福寺の本尊さまを信仰し、参道入口の石塔を
寄進し、今でのその名を見ることができます。
江戸との交流が盛んで、本尊、不動明王はその当時から、ひろく
信仰を集めたとわかります。
木更津といえば、”やっさいもっさい”です。
このフレーズは、元々江戸時代の噺家、木更津亭柳勢さんが作った、
木更津甚句の中にあります。
♪ハァー 木更津照るとも
東京は曇れ* かわい男が
ヤッサイモッサイ
ヤレコリャドッコッコイ
コリャコーリャ
日に焼ける
*江戸時代は「お江戸は曇る」
光福寺の過去帳を見ると、この木更津亭柳勢さんは、境内の墓地に眠ることが分かります。
昔から今へと連綿と、この地域のみならず広い地域の方に、お参りをいただいている伝統的なお寺です。